BPD境界例関連のためになった本②

境界例の治療ポイント』平井孝男先生著。
転移逆転移の問題が取り上げられてないとの批判があるが、転移逆転移という用語さえ使われていないもののよく読めばきちんと取り上げられている。

また患者側・治療者側・患者家族側どの立場の人が読んでも全く関係ない人が読んでもわかりやすい記述があり、かなり古い本なので安価で容易に手に入る。

この本は仏教的概念がしょっちゅう出てきて、この先生は、生き仏みたいな感じがする。
投影性同一視にもよい面があること、デメリットを生かしていく考えが他の本にはない優れた視点だと思う。

厳しい記述もあるけど、読むだけで心が救われる本の一冊。

フロイトが支持されアドラーが埋もれてきた理由を独断と偏見で毒を吐きながら勝手に考える

 決定的な違いは何か。フロイトはオカルトでも彼には治療的な姿勢があったからだと思う(詳しくは知らないが)

 自由連想法を用いた精神分析は2000年位まで日本でも用いられている(日本初の精神療法の裁判案件なので確実)流石に2015年現在はやってないと思うが。

フロイトはとにかく時間をかけて患者を理解しようとしたんだと思う(詳しくは知らないけど)フロイトの診た神経症患者は今で言う解離性障害転換性障害あたり。フロイト精神分析で今日のBPD概念にあたるものも発見されている

アドラーの弟子のウルフが書いた本にもフロイト批判が載ってる。フロイトの弟子はフロイトの間違いはどんどん訂正して自説を展開しまくった(裏返すと進歩してきたともとれる)

 アドラーの弟子はアドラー先生の言うことは正しい完璧な理論だから(そしてアドラー心理学は万能じゃないと大切なことは盲目になってて本にきちんと書いてない)みたいなスタンス。裏返すと凝り固まった進展のない理論ともとれる。

他の本には鬱にアドラー心理学は危険ってちゃんと書いてあるらしい。つまりアドラー心理学って対象は健康な人の悩みの範囲だ。精神医学とはだいぶ距離があるんじゃないか?

 他のアドラー心理学の講師(?)も「特殊事例は扱えない。生徒はアドラー心理学で解消出来る質問をしないといけない」的なことネット上に書いてて、他の治療法は誰でも出来るとまで書いてて私には上から目線に感じる。
 誰でも出来るとまで言うならばなら、アドラー派の人も、アドラーを盲信して拘らずに、別の治療法の役立つ部分をを身につけてれば、もっと説得力があるだろうに。
 アドラーの理論に拘るあまり、精神医学や現代心理学から自ら遠ざかって閉鎖的組織になって本末転倒じゃね?と思った。
 
 アドラー個人の思想なのに、心理学と銘打ってるのもまずい。現在の心理学は統計や実験に基づくもので個人の思想とは一緒くたには出来ない。つまりアドラー理論は精神障害の治療に実践的にはさほど役に立たないから日本で埋もれてきたんだと思う。
 患者に個人の理論(アドラー式)を突きつけて治ったら精神科とか始めからいらないですやん(関東人なので関西弁の適切な使い方がわからなくてすみません)

フロイト精神分析アドラー心理学もエビデンスはない(万人に一定の効果があることが統計的に証明されてない)フロイト式じゃない精神分析もあるので精神分析でひとくくりにできないが。

 アドラーの診た神経症は文をよく読むと境界例が入ってて(フロイトの弟子も貧しい患者に精神分析しててBPDを発見する)アドラー精神分析や神経症患者を否定批判するわりに別治療法も提示してない。最終的には予防に重点を置いたようだ。

BPDを酷く言うのは構わないけど、強迫神経症とかは原因がわからないと一つの強迫症状が無くなっても新しい強迫症状が出てくるんではなかろうか。e.g.)過度の手洗い→過度のアルコール消毒
(例えば家族が食中毒で入院したとかの原因を探るのが必要な病もあるんだよね)

 フロイトが日本で長く支持されてきた理由はお話療法で時間をかけて患者のことを理解しようとした姿勢にあると思うなぁ。うつは心の風邪疾病啓発キャンペーンからの混雑しきった

現代精神科でそういうとこは減ってしまったけど(現代精神科は話を聴いてくれるとこじゃなく、基本は投薬。話を聴いてくれるのはキャバクラのおねーちゃんか臨床心理士のカウンセリング)

身も蓋もない精神医学の話~寝椅子の下読むとエディプス葛藤は、ある病には実際あるみたいだし。

【リネハン先生の一派は自分達の考案した治療法であるDBT押しだけど、他の治療法も否定してない。実際患者を治してきたからこそ、患者が助かることに重点を起き、他の治療法を否定しないんではないかな...DBTにも患者の内的世界まで変えられない弱点はあるし、万能ではないが。
 
DBT(弁証法行動療法)の柱の一つは承認だから他の治療法を否定しないのもあるのかもしれない。

また、リネハン先生は自身が精神病んでただけあって、厳しいことも言うが、フロイトアドラーとは別格な気がする。BPDの気持ちが分かるのは結局BPDとして、今まではBPD同士は犬猿の仲とされていた常識(境界例の治療ポイント/平井孝男先生著などより)をひっくり返して集団治療してる。解決的なんだよね。】

治療の現場で役に立つのは、一見非の打ち所がなく美しく感じる机上の空論的理論より、ある程度マニュアル化されて効果があることも証明された治療法なんじゃないのかな。

彼氏の言葉を借りる『批判するひとは、別方法を答えられないことが多い。批判が目的で解決は頭にないことが多い』私はアドラーもこのパターンだと感じた。ウルフの本しか読んでないが。私には合わないのでもう読まないかなぁ。 

アドラー思想批判したので別の提案をします。何も流行ってるからって古い時代のエビデンスのない心理学の名を借りた個人の思想より、 例えばうつ病なら認知行動療法など、それぞれ疾患に合った科学的根拠がある心理療法や精神療法をやればいいと思います。【※日本の保健診療では実施医療機関が限られており、全員が保健診療は難しいので臨床心理士の自費診療か、本を買って自分で】

又は、心理学と銘打ってない心が救われる方の般若心経とか仏教とか禅の本一冊とか聖書一冊だけで始められる宗教の方がほうがまだいいと思う。古来から生き残って人々に支持されてきた宗教にはそれだけ価値があると思う。

【※ただし、心が巣喰われて財布も巣喰われる方の組織に所属し、御布施がかかるカルト新興宗教とかセミナーとかスピリチュアルとか人の弱みに付け込む商業的なものは全力で否定する】

アドラー心理学は健康な人が自分だけに適応して、他人にまで本を勧めたり、アドラー思想を押しつけたりしなければそれでいいと思う。ブームになってこういう人が多々ネット上に見られる。

アドラーのいう共同体感覚(詳しくは知らないが)をアドラー自身が持ってフロイトの治療法も認めた上で自説を展開していたら、アドラーの個人心理学にもエビデンスがなくても、多少説得力
があったのではないだろうか。

アドラー自身は社会主義者だったにも関わらず、某嫌われる勇気は何故か自己責任論に終始してしまっている。アドラーの翻訳本は歪曲されて翻訳されてるのだろうか。歪曲されて翻訳されてないとしたら、悩める健常者にまたは精神障害者に治療法を提示せずに自己責任論を突きつけるのは治療的なのだろうか。

 【患者を助けたいという同じ志しを持った精神科医を批判してる人が共同体感覚を持てと言っても説得力に欠けるような...という身も蓋もない突っ込みは許されないのだろうか。
まぁ人は誰しも矛盾を抱えてるから仕方ないのだろうか】
 

BPDに死にたいと言われたら/DBT教科書的返し

DBTの本より引用抜粋します。が、責任は持てません。万能な治療法や対応や心理学はそもそもこの世にないからです。

引用

自殺念慮や自殺衝動があるという事実を理解し承認することが重要(「君に希死願望があるのはわかっているよ」)ただし、理にかなった選択肢として自殺(あるいは飲酒や薬物使用、攻撃や暴力)を承認しないことが重要。

つまり要約すると、そう思うのは分かるよと伝え、実際行動をしていいとは言ってはいけないことになる。

↑パートナー間のこじれた関係を修復する11のステップp.208より。

古いギャル誌のまともな記述

表紙ボロボロで中身の記事だけファイリングしてあるからタイトルがわからないが、
『nuts特別編集好きな男を絶対手に入れる方法』
みたいな恐ろしいタイトルの雑誌だった気がする。一人暮らししてた時にアパート近くのセブンイレブンで即買いした。(かなり昔なので現在入手不可と思われる。)

一応小手先のテクニック(yesセットとか)が心理学的考察に基づいた部分もあったりする。
少しだけ深いまともな考察(後述)もある。

5つの処方箋
「自分のことを確実に好きになってもらう方法」「寂しさに打ち勝つ方法」「失恋から自力で立ち直る方法」「付き合う前にやらかして、本気で好きになってもらう方法」「彼女から彼を奪える絶対的な方法」みたいな感じ。この5つの処方箋を載っけろと思われるかもしれないが、需要がない気がする。
 

「最後に」よりまともな記述一部抜粋
『「彼を変えたい」「彼にこうなって欲しい」なんて思うな。そう思うから辛くなる。彼は別に今のままでいいんです。「私のことをわかってくれない」なんて思うな。わかってくれる男なんてこの世にひとりもいません。』引用終わり

相手を変えようとするのはやめれってDBT(弁証法行動療法)の本と同じことが書いてある。

ギャル誌を買った最初で最後だろうか。

実は半年前はベンゾ中毒だった/ベンゾ離脱の方、ベンゾはやめられるから大丈夫!

目的外使用にあたる。レンドルミン0.25を飲んで携帯いじったまま寝ないでラリっていた。しかも大量に飲んだわけじゃないから大丈夫と思い込んでた。

使い方が問題あり薬物中毒状態なので、日中はぼーっとしてビクビク。耳鳴りが酷く、髪の毛が腕に触れただけでも虫かと思って怖くてしたかない毎日を送っていた。外にも出れない。同じ行動を繰り返す(薬物中毒の人によくある行動)これが3ヶ月。

離脱症状ではなく中毒状態です。以前普通に飲んで寝てた時はこんなことは全くありませんでした。)

量が少ないから止められたんでしょ?代わりに精神薬飲んでるんじゃ意味なくね?目的外使用の人は自業自得じゃない、常用依存で苦しむ人間の気持ちがわかる?

と思うかもしれませんが、BPDでこんな状態からでも短期型レンドルミンを止めれたので、離脱症状に苦しむ人は希望を持って欲しいと思う。

再度いうけど、アシュトンマニュアルは止め方だけ読んで離脱症状を丸暗記はオススメしない。丸暗記しても止めれましたが、一生このままだったらと不安を抱えてしまったので。

私は処方がなくなって一気に止めたけど(一気やめは勧めないけど)、少しずつ減らしてる方も、大丈夫です。止める気があればいつかやめれます。

止めるまでは報酬回路不全に近くて日中頭がギンギンしてアイスノンあてたままでしたが、今はそんなこと気にならなくなり、中学からの元々の偏頭痛に治まっています。耳鳴りも持病の突発性軟調時点まで戻り止めた翌日から変化があった。

ちなみにベンゾなしになって1ヶ月位経つが、報酬回路の使いすぎで一時何もプラスの感情がなかったけど、非定型精神薬の手助け(ドパミンだけでなくセロトニン系にも働くやつ、依存症にも使われる)

普通に嬉しい楽しいを感じるようになりました。弁証法行動療法の本も暫くサボってたけどやるようになったら一気に良くなった。

非定型精神薬もいつになるかわからないけど将来的に止められる可能性もあると先生との会話で出たので、BPD治療は続けていきます。

まあこんなとこに書いてもベンゾ常用依存で離脱に四苦八苦してる人には届かないかもしれないけど、ネットには絶望的な声しかないから、もし検索でひっかかれば...。

BPDやACと同じく常用依存になった責任はなくても、止める責任は本人にあるんです。医師を責めても製薬会社を怨んでも苦しみは和らぎません。

BPD境界例関連のためになった本

私にはやっぱりこの本が合った
「パートナー間のこじれた関係を修復する11のステップ DBT(弁証法行動療法)で身につける感情コントロール・対人関係スキル/明石書店」タイトルが胡散臭いのが欠点だけど 

弁証法行動療法をカップル向けにアレンジしたもので、マインドフルネスと承認がメインになってくる。この本のマインドフルネスには気づきという視点切換が入ってくるが、スピリチュアルとか根拠がない胡散臭いものでなく、正統派心理療法。

細かいエクササイズがいくつも載っていてやらないといけないんだけど、確実に効果がある。

読むだけでも気持ちが変わる心が動く本だった(私には)。もちろん相手に強制して読ませたりしてなく独りで淡々とやっていたが、凄く効果があった。

もう一つ欠点がある。大切なパートナーがいない人には適用しないことと、カップル以外の人間関係にも適用可能だけれど、既に相手に憎しみしかない人はこの本の内容に拒絶反応を起こすかもしれない。

BPD(境界例)や神経症で大切な人がいる人には役に立つと思う。自分の病を治すだけだといまいち挫折しやすくても相手との関係をより良いものにしてくためなら続けやすい。

そして認知行動療法とは違ったやり方で視点切り替えをするので、一度自分の感情を否定する作業がないから、重症うつの人にも、本が読めれば使えると思う。

私の彼は違うけど、BPDカップルは境界女と自己愛男の組み合わせが多いので自覚があって治したい自己愛性の人にもいいかもしれない。

「相手はあなたの愛する人です」って文がしょっちゅう出てくるので、この文を読んでダメな人は買わない方がいいかもしれない。

軽い読書感想文

「どうすれば幸福になれるか」W・B・ウルフを軽く全体的に読んでみた。世界的に売れたらしい。健康的な防衛機制の利他主義とユーモアがしつこいほど出てくる。(ここはいいと思う、現代医学とも合ってる)

神経症(アドラーの時代の神経症は文をよく読むと境界例が入ってる)患者をぶったぎる内容が随所に見られ、アドラーは相当神経症が嫌いだったのが伝わってくる。(まぁここもいいとして)

古い時代に書かれたので統合失調症の説明が完全に間違っている。神経症が行き過ぎると最も重い形で統合失調症になるみたいに記述されてるが、間違ってる。

神経症と境界例に辛く当たるのはまぁいいとして
統合失調症は発病前から脳に異常が見られる疾患だからこそ本人の意志で治せず、投薬のみで治せるのであって、統合失調症患者をぶったぎる内容は訂正して出版できなかったのだろうか...。酷い誤解を産む書き方だ。

全体的に思ったことだけど、アドラー心理学は治療的じゃなく宗教的だ。他のブログでこれは心理学ではなくアドラーの思想だと書いてあったけど、それに近い感想かな。いいことも書いてはあるけど、抽象的な表現が多くて具体的対策が抜けてて、とにかく私の言う通りやれみたいな、こんな感じ

ワ○ミ「僕は無理という言葉が嫌いなんです・・・無理ではなくなるから・・・○ぬまで働け」私にはアドラーと○タミが同じ種類に感じるなぁ。

身も蓋もない精神医学の話~寝椅子の下でアル中の患者に正論の説教したところで、よけいやる気なくなるみたいな話があったけど、もう少し柔らかい書き方があるんじゃないかなと思った。この書き方だと精神論的にとれる。