フロイトが支持されアドラーが埋もれてきた理由を独断と偏見で毒を吐きながら勝手に考える

 決定的な違いは何か。フロイトはオカルトでも彼には治療的な姿勢があったからだと思う(詳しくは知らないが)

 自由連想法を用いた精神分析は2000年位まで日本でも用いられている(日本初の精神療法の裁判案件なので確実)流石に2015年現在はやってないと思うが。

フロイトはとにかく時間をかけて患者を理解しようとしたんだと思う(詳しくは知らないけど)フロイトの診た神経症患者は今で言う解離性障害転換性障害あたり。フロイト精神分析で今日のBPD概念にあたるものも発見されている

アドラーの弟子のウルフが書いた本にもフロイト批判が載ってる。フロイトの弟子はフロイトの間違いはどんどん訂正して自説を展開しまくった(裏返すと進歩してきたともとれる)

 アドラーの弟子はアドラー先生の言うことは正しい完璧な理論だから(そしてアドラー心理学は万能じゃないと大切なことは盲目になってて本にきちんと書いてない)みたいなスタンス。裏返すと凝り固まった進展のない理論ともとれる。

他の本には鬱にアドラー心理学は危険ってちゃんと書いてあるらしい。つまりアドラー心理学って対象は健康な人の悩みの範囲だ。精神医学とはだいぶ距離があるんじゃないか?

 他のアドラー心理学の講師(?)も「特殊事例は扱えない。生徒はアドラー心理学で解消出来る質問をしないといけない」的なことネット上に書いてて、他の治療法は誰でも出来るとまで書いてて私には上から目線に感じる。
 誰でも出来るとまで言うならばなら、アドラー派の人も、アドラーを盲信して拘らずに、別の治療法の役立つ部分をを身につけてれば、もっと説得力があるだろうに。
 アドラーの理論に拘るあまり、精神医学や現代心理学から自ら遠ざかって閉鎖的組織になって本末転倒じゃね?と思った。
 
 アドラー個人の思想なのに、心理学と銘打ってるのもまずい。現在の心理学は統計や実験に基づくもので個人の思想とは一緒くたには出来ない。つまりアドラー理論は精神障害の治療に実践的にはさほど役に立たないから日本で埋もれてきたんだと思う。
 患者に個人の理論(アドラー式)を突きつけて治ったら精神科とか始めからいらないですやん(関東人なので関西弁の適切な使い方がわからなくてすみません)

フロイト精神分析アドラー心理学もエビデンスはない(万人に一定の効果があることが統計的に証明されてない)フロイト式じゃない精神分析もあるので精神分析でひとくくりにできないが。

 アドラーの診た神経症は文をよく読むと境界例が入ってて(フロイトの弟子も貧しい患者に精神分析しててBPDを発見する)アドラー精神分析や神経症患者を否定批判するわりに別治療法も提示してない。最終的には予防に重点を置いたようだ。

BPDを酷く言うのは構わないけど、強迫神経症とかは原因がわからないと一つの強迫症状が無くなっても新しい強迫症状が出てくるんではなかろうか。e.g.)過度の手洗い→過度のアルコール消毒
(例えば家族が食中毒で入院したとかの原因を探るのが必要な病もあるんだよね)

 フロイトが日本で長く支持されてきた理由はお話療法で時間をかけて患者のことを理解しようとした姿勢にあると思うなぁ。うつは心の風邪疾病啓発キャンペーンからの混雑しきった

現代精神科でそういうとこは減ってしまったけど(現代精神科は話を聴いてくれるとこじゃなく、基本は投薬。話を聴いてくれるのはキャバクラのおねーちゃんか臨床心理士のカウンセリング)

身も蓋もない精神医学の話~寝椅子の下読むとエディプス葛藤は、ある病には実際あるみたいだし。

【リネハン先生の一派は自分達の考案した治療法であるDBT押しだけど、他の治療法も否定してない。実際患者を治してきたからこそ、患者が助かることに重点を起き、他の治療法を否定しないんではないかな...DBTにも患者の内的世界まで変えられない弱点はあるし、万能ではないが。
 
DBT(弁証法行動療法)の柱の一つは承認だから他の治療法を否定しないのもあるのかもしれない。

また、リネハン先生は自身が精神病んでただけあって、厳しいことも言うが、フロイトアドラーとは別格な気がする。BPDの気持ちが分かるのは結局BPDとして、今まではBPD同士は犬猿の仲とされていた常識(境界例の治療ポイント/平井孝男先生著などより)をひっくり返して集団治療してる。解決的なんだよね。】

治療の現場で役に立つのは、一見非の打ち所がなく美しく感じる机上の空論的理論より、ある程度マニュアル化されて効果があることも証明された治療法なんじゃないのかな。

彼氏の言葉を借りる『批判するひとは、別方法を答えられないことが多い。批判が目的で解決は頭にないことが多い』私はアドラーもこのパターンだと感じた。ウルフの本しか読んでないが。私には合わないのでもう読まないかなぁ。 

アドラー思想批判したので別の提案をします。何も流行ってるからって古い時代のエビデンスのない心理学の名を借りた個人の思想より、 例えばうつ病なら認知行動療法など、それぞれ疾患に合った科学的根拠がある心理療法や精神療法をやればいいと思います。【※日本の保健診療では実施医療機関が限られており、全員が保健診療は難しいので臨床心理士の自費診療か、本を買って自分で】

又は、心理学と銘打ってない心が救われる方の般若心経とか仏教とか禅の本一冊とか聖書一冊だけで始められる宗教の方がほうがまだいいと思う。古来から生き残って人々に支持されてきた宗教にはそれだけ価値があると思う。

【※ただし、心が巣喰われて財布も巣喰われる方の組織に所属し、御布施がかかるカルト新興宗教とかセミナーとかスピリチュアルとか人の弱みに付け込む商業的なものは全力で否定する】

アドラー心理学は健康な人が自分だけに適応して、他人にまで本を勧めたり、アドラー思想を押しつけたりしなければそれでいいと思う。ブームになってこういう人が多々ネット上に見られる。

アドラーのいう共同体感覚(詳しくは知らないが)をアドラー自身が持ってフロイトの治療法も認めた上で自説を展開していたら、アドラーの個人心理学にもエビデンスがなくても、多少説得力
があったのではないだろうか。

アドラー自身は社会主義者だったにも関わらず、某嫌われる勇気は何故か自己責任論に終始してしまっている。アドラーの翻訳本は歪曲されて翻訳されてるのだろうか。歪曲されて翻訳されてないとしたら、悩める健常者にまたは精神障害者に治療法を提示せずに自己責任論を突きつけるのは治療的なのだろうか。

 【患者を助けたいという同じ志しを持った精神科医を批判してる人が共同体感覚を持てと言っても説得力に欠けるような...という身も蓋もない突っ込みは許されないのだろうか。
まぁ人は誰しも矛盾を抱えてるから仕方ないのだろうか】