BPDとACはほぼ同義と考えるケース/フロイト派でもない私

こば心療医院 身も蓋もない精神医学の話
メディカルサイエンスエッセイ 寝椅子の下 
第ⅠⅠⅠ部「生まれ」と「育ち」
時には昔の話をしようか・・・Ⅰ~Ⅳ
「原因」は単純ではない:ACと境界性パーソナリティ障害 などより引用抜粋
(参考文献や出典あり、双子研究や養子研究、動物実験の話もあり)

引用
これは症状的にはほとんど全く「境界性パーソナリティ障害」と重なります。実際「親がアル中だったせいで」という原因論をとっぱらってしまうと、ほとんど全く「境界性パーソナリティ障害」です。

「アルコール依存性の家族性」も、ACOA(アダルト・チルドレン)の問題も、境界性パーソナリティ障害も、「生まれ」(脆弱的な遺伝子傾向)
だけで決まるものでもなく、「育ち」(不幸な生い立ち)だけで決まるものでもなかったのです。もともと脆弱な遺伝子傾向を持って生まれてきたところに、不幸な生い立ちが重なってしまうと「病気」という形で問題を生じるようになる・・・ということだったのです。引用終わり

アダルトチルドレンもBPDも親のせいではなく、遺伝子関係してます。親であっても現代科学では遺伝子は選べません。同じ不幸な生い立ちでも発症しない人はいて、遺伝子の脆弱性に不幸な生い立ちが重なった場合に不幸な生い立ちがはじめて意味を持ってくる。
(少なくとも私はこれを読んで親に責任はないと思った、完全な養育環境を提供したとしても(完全な養育環境なんてないし)遺伝子的に脆弱であることは変えられないので学校や職場が原因で発症する可能性もある)

私も3歳で既に暴力は受けてたけど、学校でクラスの子にはそんなことしてない。既に人が怖いのでクラスの子とも話さず1人でいた。10歳くらいまでそうだった。(以後少しだけ人と話すようになる)人にされたからと無関係な相手に同じことをするかどうかは本人次第だ。

でも治さなくていいわけでも、治す方法がないわけでもない。投薬だったり心理療法だったり

BPD本にもよく書いてあるけど、例え親の育て方に問題があっても、病を治す責任はあなたに(私)にあると。アダルトチルドレン関連の本には書いてない重要なこと。だから正直アダルトチルドレンって考え方をしてる人も苦手。

AC本やカウンセリングって民間のエビデンスのないお金だけかかるやつで解決策ないみたいだし。
アダルトチルドレンという概念は精神医学にも心理学にもなく、アメリカのケースワーカーが創り出した概念で、概念である以上、治療法も元々ない)

癒しとか優しい言葉ばかり投げかけて、精神の成長をストップさせ、ACビジネスに長く留まれるような形だし(私の今の精神科医は厳しく感じるが、患者の治癒力を引き出す方向性。特に癒されはしない。)

私には今からでも選択権がある(弁証法行動療法の本より)自分や他人の悪いところに目を向けて責めて生きる人生か、自分の持っているものに目を向けてそれを大切にする人生か。

フロイトは一歩間違えればオカルトだし、アドラーは一歩間違えれば宗教だし、いち患者としては解決に直結する現代正統派精神医学派、DSM人格障害の基礎となるカーンバーグの人格構造論やリネハンの弁証法行動療法を取る。

精神科は無駄じゃない

治す気がある患者には無駄じゃない。

農業に例えると、医師は農作業の仕方を指導する。患者は農作業の仕方を覚えていって、いつか種まきから収穫まで自力で出来るようになり指導者の元から自立し社会へ戻る。

薬だけ飲んでて治らないっていうのはそりゃ治らない。うつでも睡眠障害でも糖尿でも生活習慣変えないと治らない。

私は身内に2人糖尿患った血縁者がいるが、片方は好きなだけ食べ、糖尿発病後、骨だけの身体なのに自販機までコーラを買いに行って骨折が原因で亡くなったが、もうひとりは食事や運動を見直し全快した。同じ病でも経過が違うのは

命運を分けるのは、ただ本人に治す意志があるかないかだけだ。

某アドラー心理学の本の注意点

感情にさえ目的があるとする部分は完全に歪曲して理解して本に書かれてるよ、コレ。

 感情コントロールは可能だけど、
 紙に書いて(日記とか)吐き出したり、自分で自分の怒りや哀しみを認めることで感情が治まってゆくという大事な具体的な方法が書いてないよね?図書館内で読んだだけだから私の読み落としかな?
相手の怒りを承認すれば治まってゆくことも書いてない。
 もちろん他人に怒りをぶつけるのは良くないけど、正しい対策が抜けてたら意味ない。(弁証法行動療法では基本的に自分の感情をただ観察するなどとしている)

 読んだ人が誤解して、ひたすら我慢我慢で理性でとりあえず感情を抑圧してたらリバウンドしていつか爆発するか、病になるだけなんだけど。
(BPD治療本関連本より)



 

実はまだBPDって言われてないが・2

4年前
私『ボーダーなんですか?』
医師『違います』

私『ボーダーラインじゃないんですか?』
臨床心理士『それは違う』
私『同時に注意欠かく多動障害とも思うんですが』
臨床心理士『それは東京にいってテストを受けてみないとわからない』
私『どうしても電車に乗れないのでテストは難しいですね』(乗り物酔いが激しく逃げれないのが無理。車なら自分で運転して揺れ方を抑えられるし、いつでも路駐して休めるから具合悪くならない)

臨床心理士はここでボーダーを強く否定した割に発達障害に関してはテストを受けないとわからないという。臨床心理士による診断は医師法違反でもあるからできないが、ボーダーだけ強く否定するのは変。変、怪しい。(疑いをもったまま良い人を続けて社会復帰して1年半トルネード抑うつで動けなくなる)

フォローアップにしてくれた5分間の電話の時に動転した様子でパニック状態でBPDの話をしたら、彼女(臨床心理士)は否定しなかった。わかってしまったかなという声色だった。(BPD患者は恐ろしく相手の感情を見抜くときがごくまれにある。参考/境界例の治療ポイントという本)

その時々で神経症水準BPDだったり、精神病水準BPDになったりしてると感じる。

実はまだ医師にはっきりBPDと言われていない

医師に一度もあなたは境界例です、BPDですとは告知されてないが、
数年前、現在の医師『あなたは情緒不安定っていうか...パーソナリティ障害っていうか性格の問題』

これは遠回しにBPDであり境界例といってるのに等しいと、私は今は感じる。当時は(ん?どゆこと??)だった

精神科3年ぶりの今年3月

医師『症状的には抑うつなんですよね。何らかの人格障害だと思うが私にはどれとはわからない』
私『それは性格の偏りという意味ですか』
医師『そうです』

精神科ってそんないい加減なのと思わないで欲しい。診断を確定してしまうと医師も患者も視野が狭くなるし症状の固定化を招く危険性もある。

双極以外の他の診療科医師によって一時的についた診断は『うつ状態、不安神経症、自律神経失調症、偏頭痛、過喚起症候群、突発性難聴月経前症候群etc...』これらの病や症状はBPDは病気のデパートなので何も矛盾しない。
(参考/境界例の治療ポイントという本)

これらの病名は意味がなく、メインはおそらくBPDである。

自分からボーダーと言う自覚があればボーダーではないという医師と(自覚があって自ら独り治療を受けるボダは基本少ない)
、自分からボーダーだと言えばボーダーでまず間違いないという医師もいる。医師も人だがら人によって細かい基準が違う。

BPD本にありがちな太宰治

BPD有名人といえば太宰治。経歴をみればまさに典型的BPD。BPDでなくとも男性のほうが自殺完遂率は高くより致命的な死に方をする。 

太宰治走れメロスしか知らない。信じるか信じないか、妹の結婚式に出るために身代わりになってくれたセリヌンティウス(だっけ?)との約束を守るか守らないかというメロスの精神世界の話(だっけ?)

そして王様の心が動く(だっけ?)いい話だ。読んだのは小学校の国語の教科書だし、時間が経ちすぎて、ぶっちゃけ詳しく覚えてない。

話はずれるが、だが、待って欲しい。とにかく、待ってほしい(何をだよ)

多くのBPD患者は太宰治のような文才もなく、マリリンモンローのような演技力もなく、ダイアナ妃のようにチャリティー活動で居場所を見つけることが困難なのだ。(ていうか、私は年齢的に彼女らの現役時代もよくわからない、太宰治は国語の教科書で知っただけだし)

しかも3人は何らかの形で精神医療の治療を受けているが自殺か不審死を遂げている。才能に恵まれたBPDでも、こうなのか...と少なくとも私は絶望するから、太宰治はBPDだけど、BPD本に載っけなくていいよ。

BPDの希望の星のリネハン先生

なにかのネットニュース(今は読めない)で見たリネハン先生の経歴。

17か19歳の時、統合失調症と当時は診断され(BPDは病態水準で統合失調症と誤診されやすい)閉鎖病棟の壁に頭を打ち付けていたとか。
電気けいれん法や抗精神薬が効かない。(BPDの症状は薬のみでは良くならない)

退院後に事務の仕事をしながら心理学の大学へ通い、

超中略  助ける側、治療者側になる。彼女の経歴をみると弁証法行動療法(DBT)が修行っぽいのは納得いくわ...。彼女の人生が途中から自己治癒力に充ちていたことは明白だ。


アメリカの何かの調査でも、BPD患者のフォローアップでは1割自殺。1割早死や事件に巻き込まれ死亡(巻き込むばかりじゃなく、不安定な環境に身を置きやすいBPDが早死にするのは当たり前と言えば当たり前)

残り8割もBPDの診断基準に当てはまらないものの、充実した生活を送ってるとは言い難いらしい。

治療が必要な疾患なのだ。今は人格障害のカテゴリで性格の問題だから治療は無駄とか世間的にはボロクソに言われているが、(逃げるしかないとか。人間関係に回避的なボダもいるんだけどね。)回避性人格障害とは違う表面的には人間関係に回避的なボダ。

古くは精神病(統合失調症)とヒステリー(神経症)のあいだ(境界に位置し安定して不安定である)という病気という概念だった

健康な人も変わることが出来るように、BPDであっても統合失調症であっても神経症であっても、同じ人間だから変わらないということはない。